自己紹介

自分の写真
シアトルの短大を卒業した後、シアトルにある旅行会社に約3年勤めました。トラベルエージェントを一生続ける事に疑問を持ち始め、自分探しを始めて数ヶ月、昔から好きだったデザインを一から勉強する事を決意。ベルビュー大学のインテリアデザイン科に入学、現在も勉強しています。

2012年1月30日

生まれて終わる

TV番組をみて戦争に関して感じる事を綴っています。とても繊細な話題になります。戦争なんて聞くのも嫌という方は、今日のブログ読まない方がいいかもしれません。その際は、ぜひ別の日にいらしてください:)

私は小さい頃から戦争についての教育をかなり受けてきました。住んでいた地域のせいかもしれません。一年に必ず戦争という事実を何度か思い出し、考える事が身についているのかもしれません。教科書でお馴染みのフランクリン,ルーズベルト(第32代アメリカ大統領)を知らない日本人は、ほぼいないと思います。TVの番組で第二次世界大戦時に起きたパールハーバ事件の特集をしていました。こちらで放送される戦争番組によって日本の教科書では決して載らないことを知ります(勿論、アメリカ側の心情が入った視点の戦争)。フランクリン、ルーズベルトは歩く事が不自由で一人では歩けず、息子の肩を借りて歩くか、車椅子で生活をおくっていました。日本からのパールハーバーへの攻撃の一報がホワイトハウスに入った時、彼は杖を使って自力で立ち、演説台まで行き両腕だけで全体重を支え、その一報を国民に伝え演説したそうです。当時の日本の一国統一と命を惜しまぬ戦闘精神から、大国であるアメリカでさえ敗北するのではと不安を募らせていたかもしれません。少なくともフランクリンルーズベルトはそう思ったのかもしれません。だからこそ、彼は必死に国民に訴えたんだと思います。皮肉にも、パールハーバーを切っ掛けにアメリカ国民が一つになり硫黄島の攻撃や広島と長崎の原爆という最悪の結果で戦争は幕を閉じました。今日は、フランクリン、ルーズベルトが生まれた日です。彼が生まれてなければ、原爆は落とされてなかったかもしれない。でも彼が生まれてなければ戦争は日本人の最後の一人が死ぬまで終わらなかったかもしれない。。 戦争教育を小さい時から受けてきた一日本人として複雑な思いでTVを見てました。辛い経験ですが戦争は忘れちゃいけないんですよね。二度と起こさないように。今日は固い話しだ~。

下記のパナマホテルの補足説明です。こちらのホテルは、ワシントン大学を卒業した日本人建築家オザワ・サブローさんによって1910年に造られました。館内には、今は使用できないものの、アメリカ唯一の日本式銭湯の跡が残っています。沢山の日本人が利用していたそうですが、戦争によってその日本人達も収容場に送られ、そして日本人町も無くなりました。その名残がチャイナタウンにあります。当時の日本人が残していった品々は日本人のオーナーの一存でパナマホテルに今も残されています。見学も出来るのでシアトルに来た時は行ってみてください。

パナマホテルはシアトルにまだ健在しています。
Panama Hotel in Seattle back in the day

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントありがとうございます!:)Thank you for your comment!